ラバリ族について、村に訪れたときのことを書きたいと思う。
ラバリ族はカッチ語を話すため、そして住所があってないようなものなので、
職人に紹介していただいた通訳ガイドとロビーで待ち合わせ、放牧前に到着できるよう出発した。
かつては遊牧しながらの放牧だったようだが、今は定住しているとのこと。
場所は荒野にあるらしい。
住所不定、普段行けない場所に気持ちが高まってしまい動悸が止まらないのは言うまでもない。
ひたすら続く荒野を車で突き進む。
道があまりないというのに、道を覚えようにも覚えられない。土地が広いというのも分かりにくいものだと実感する。
普段、こじんまりとまとまった都市に暮らしていると、何もない土地が続く道にただ圧倒されてしまうのかもしれない。
辛うじて轍があるような小道を曲がると、ポツンと小さな民家がいくつか、そこには、2家族が住んでいた。
全身真っ黒なラバリの女性と、全身真っ白な男性。
ふたり並んだ民族衣装の格好良さといったら、痺れる…
丈の短い真っ白なギャザーが寄ったラバリジャケットはとにかく可愛い。某ブランドでは女性用に作られているが、納得の可愛さである。
対称に全身真っ黒の女性は、黒いウールとわずかに光沢のあるギャザーが寄った衣服。
普通なら男女逆の装いをイメージするが、遠くからも認識できる白は放牧には重要ということなのだろう。
家々の前には、まだ臍の緒が付いた小さな羊と親がつながれている。
カッチの羊は垂れ耳で、毛は短い。鳴き声を聞かずに見るとヤギかと思ってしまうくらいである。
奥へ進むと、棘のついた植物の枝で覆わた生垣に囲まれた場所に沢山の羊。
放牧を前にして、男性、そして息子さんが龜を持って大人の羊からミルクを搾り取る。
その理由が後から判明したのだが、小さすぎる子羊は1日中の放牧に耐えられず、置いていかれる為に搾乳していたようだった。
出発までの時間はしばし平和な時間が流れている。
家族の昼のために、薄い小麦粉のパン”ロティ”を焼きながら、女性はは手と口を動かしながら、どんどん焼いていく。
“私たちは、昼に料理はしないのよ”と言いながら、家族全員のためにせっせとロティを焼きお弁当をつくる。
刺繍を見るのも目的の1つだったが、息子さんの婚礼が近づきもの凄く忙しい時期で、また殆どの刺繍は婚礼用の資金にするため、見せてはもらえなかった。
続けてラバリの婚礼のこと、刺繍がラバリにとってどんなものであるか教えてくれた。
“16歳の息子が1ヶ月後に結婚するんだけど、
とりあえず婚礼はあげるけどお嫁さんが来るのは、4年後なのよ。4年後に来たときは、今住んでいる場所の近くに別の家を建てるの。
だって同じ家に暮らすのは大変でしょ?”
と、ちょっとお茶目に打ち明けてくれた。
どこも姑問題はあるのだな心の中で考える。
“娘たちは小さいときから刺繍を学ぶのよ。昔は、よい結婚をするためには、美しい刺繍ができることが条件だったけれど、1995年以降にその風習はなくなったの。刺繍することが難しくなって、結婚できない子もでてきたのよ。だから、ミシンで刺繍することも良しとしたの。”
確かにラバリの最近の刺繍を見ると、リボンをミシンで縫い付けたタイプを町のビンテージショップで見かけるなと思った。
ここでも思うことだけど手仕事は尊い。
なくなっていくことが悲しい。
しかし、多数派でなくとも何時の時代も守っていきたいと思う人が出てくるものだと。
そして、1人でもそう思ってくれる人がいると良いと思う。
それが多数の人に渡らなくても、細々とでも続いていくことを願った。
チャイをご馳走になりながら、そんなことを考えていた。
本で読む事実もあるが、実際に会い話し知識として積み上げられていくことが何よりの宝物であると感じた。
インドで会う人々との語らいはいつも刺激をくれる。
メインイベントの放牧も興奮の瞬間だったことも付け加えたいと思う。
素材を育てる人、
紡ぐ人、
刺繍をする人、
織る人、
手から手へ渡っていくバトンを、商品から少しずつ遡っていきたいと強く思う旅だった。
Photo: Yusuke Shirai
Special Thanks: Rabari family.